京商●こだわりの系譜 妥協なき姿勢の証言に、耳を傾けて欲しい。

世界選2階級制覇を実現した男。 二階堂 嘉信

WEB:
レースにはたくさん出場したんですか?


二階堂:
メジャーレースはそう多くはありません。1/12EPの全日本に社会人になってからを含めて2、3回。あとはローカルレースは結構楽しんでました。でもどちらかというと改造に凝ってましたね。メシ代もR/Cに回すほどでしたよ。

WEB:
戦績は?


二階堂:
一番聞いて欲しくなかったなぁ(笑)。練習ではまだマシな走りになっているんですが、本番に弱くて。メンタル面のトレーニング不足ですかね。ライバルがいまして、彼がドンドン速くなって行くのに比例してボクものめり込んでいったんですけど。

WEB:
それに連れて戦績も良くなっていったと・・・。


二階堂:
少しは進歩がありましたけどね。当時は学校とコンビニでのバイト、それから当時関東の聖地だった“いちむらサーキット”との間を行ったり来たり。それからR/C専門誌を読みふけって色々と試してみるという生活でしたよ。とにかく仲間とあれこれR/Cのうんちくを語り合うのが楽しかった。青春はR/C一色でした。いい仲間にも恵まれました。それにレースは始まる前と後を含めた総合力が要求されるという教訓めいたものをつかんだのもこの頃です。これは今の業務にも生きていますね。

WEB:
それがいつ京商と重なってきたんですか?


二階堂:
実は学校の先輩に現在京商USAの副社長の笹井がいたんです。当時メジャーレースで上位を走っていた憧れの人だったんですが、たまたま逢った時に「京商にこないか?」と誘われたんですよ。で、学校の求人票を見てたら京商のもありまして、夏には早々と内定をもらいました。
理系だったんで、他の仲間はみんないろんな民生機器メーカーに就職を決め始めてたんですが、俺はR/Cで身を立てるぞ!と決めました。ゼミの先生に話したら、なんで実車の方に行かないんだって驚かれました。でも決心は変わらなかった。

WEB:
決定の決め手は何だったんでしょう?


二階堂:
自分の理論を実践して試せる面白さ、それを製品化までできる醍醐味は模型だけだと思ってましたから。それにレースでいい成績がとれない反動か(笑)、理論の方に走ったんですよ。理系の大学でしたから、専門書がたくさんあって、図書館通いをしました。ここをこうすればこうなる。でもそうならない事もある。それはなんで?といった疑問を解析していって目標の挙動に近づけていく面白さに目覚めたんですね。何から何まで自分で出来るって云うのは模型だけですから。

WEB:
最初に配属されたのは?


二階堂:
1990年、つまり平成2年4月に入社して、モンスタートラックの開発部門に配属されました。工作機械を自由に使っていいのが嬉しかったですね。作りたいモノが自由に試せるっていうのは、ホント技術者にとって天国です。就職は正解だったと心底思いましたよ(笑)。当時は週末はプライベートなレースに当ててましたが、業務もそれと同じくらい楽しかったです。

WEB:
オンロードレーシング部門にはいつから?


二階堂:
'93頃からインプレスフォーミュラ カーの開発が始まって、それからですね。そして'98年頃、1/8ファントムの復活を果たしたいという機運が会社内で盛り上がってきました。1/8レーシングは京商のアイデンティティではないか!という声が高まったんです。

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